2011年05月07日

南三陸町 #5





昨日は朝7時前に南三陸町歌津地区に向け出発ぶーん
久しぶり一人ドライブとなった昨日は、なんだかとても遠く感じました。

なぜ、そんなに早く出発したかというと…
前夜のTwitterで
「5/5現在確認、南三陸町 歌津寄木地区、22名が避難している「漁屋民宿やすらぎ」は行政からの支援がなく、成人老若男女の下着・靴下・食糧・医薬品がまったくたりていない。水は井戸を利用。支援物資を、さかなみうらまで求む。(漁屋民宿やすらぎ宛と表示)」
との声を拾ったから。

できるだけ早く物資を届けたい!と思い
5時起きで前日到着したばかりの物資の仕分け&積み込み。

・食料(レトルト、カップ麺、スープ、調味料、黒糖など)
・お米
・飲料水
・靴下
・キュウリ(実家の両親より提供)


お持ちしました。




瓦礫の山も、既に見慣れた風景となりつつあります。
(これでいいのか、私っ!?)

「直接お持ちします」と言ったのはいいけれど、道がわからない…。

というよりは、
道が土を固めた“仮道路”なので、先に進んでいいものか不安で不安で。

車がハマッたら一人じゃどうにもできないし
戻りたくなってもUターンできるのかもわからない。

なので、戻れる場所から戻って、韮の浜の区長さんに道を尋ねました。

親切・丁寧に道を教えていただき
さっき「これ以上は無理でしょ」と思った先に目的地があると
区長さんの言葉を信じて進むこと約1キロ。

ポツリポツリと残る民家が見え、一安心。

どのお宅か分からなかったので、さらに近所の方に教えて頂き、無事到着。

物資を下ろし終え、自分の名前・住所をノートに記入していると
お母さんから「少し休んでいったら」と。

「少しお話しを聞かせてください」と話し
お言葉に甘えて、お邪魔させていただきました。




こちらの“漁屋民宿やすらぎ”さんは、
今年いっぱい予約で埋まっているほどの、人気の『体験型漁屋民宿』。

こちらに泊まって、お父さんの船で釣りに行ったり
時期になると貝とりやタコ漁も体験できます。

ご馳走はなんといっても、とれたての海の幸と美しい景色。

それが、あの日の津波で、船も養殖場も工場も全部流されてしまいました。




「津波の日、お父さんと息子がめかぶ採りに海に出ててね。
地震がきて、あまりにも揺れたからお父さんに電話したのよ。
でも、お父さんってば携帯を家に忘れていてね。
息子が機転を利かせて、すぐに戻ってきて…。
私は「船なんか要らないから、早く上がってきて!!」と叫んで。
家までの坂を登ってきてる時に、遠くに白波が見えて…。 危機一髪だった。
助けられるだけ声をかけて一緒に逃げてきたけど…。

 第一波が引いていくでしょ。その引き波で、第二波がどんどん高くなって。
そこの坂(玄関から3mくらいの場所)まで水が来たのよ。

 だんだん暗くなってくるし、雪も降り始めて。

 悪夢じゃないかって何度も自分の手をつねるんだけど、痛いのよ。
 だからね、悪夢じゃない、現実なんだって…。」



貴重な水を沸かして、レモネードを入れてくれたお母さん。
避難してきているおばあちゃんも交えて話しは進みます。



 「その夜は、近所から逃げてきた人たちとうちにいたんだけど
津波に流されて息子さんの手ひとつで助かったおじいちゃんが「寒い」と震えだしてね。
危ないと思ったから、車に乗せてエンジンをかけて温かくしてあげて。
それでなんとかしのいでね…。

 でもね、助かったその後が問題。

 翌日からヘリは飛んでるのに、気づいてもらえない。
食べ物は家にあるものだけでなんとかつないで…。
それもとうとう無くなったから、水が引いてからそれぞれの家に戻って冷蔵庫を覗いて。
海水が入らなかった冷蔵庫から、食べられる食料を持ち寄ってなんとかしてたのよ。
でも、お米だけは駄目ね。海水をかぶったら、臭くて食べられたもんじゃない。
おばあちゃんたちは「大丈夫」って言ったけど、それで病気になったらねぇ。

 それも無くなったから、ヘリにどうにか気づいてもらおうと
家の回り4ヶ所に赤い布を付けた棒を立てたの。それでヘリが気づいてくれて。

 でも、降りてきたのは物資じゃなくて、レスキュー隊2人。

 食べ物だと思って喜んだのにね、笑っちゃう。」



時々、笑いも交えながら、いろいろなお話をきかせてもらいました。
おばあちゃんのおうちの話、5月に予定していた寄木のイベントの話…。

最後に涙ながらに話してくれたお母さんの言葉がとても印象に残ります。



「全国からいろいろな人が来てくれたんです。
 みなさん、こんな所にまで物資を持って。

 私だったら、同じ事できるかな?って考えるの。

 わたしたち、今までお金だけだったのね。
 海があって、民宿して。

 でも、それだけ。

 今回、しみじみ思うんです。

 “こころ豊かに生きていきたい”って」



こんな体験をして、このような状況で
こころの豊かさを大切に思うお母さん。

「もとに戻るまで2~3年はかかるかな。
そうしたら、お手紙を送るから。
皆さんで遊びに来て、美味しいもの沢山食べていってね」

と、頼もしく優しいお母さん。

帰るときにも、手を振って見送っていただき、
私もなんともいえない気持ちで岐路に着きました。




MIYUKI










  





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Posted by sanstha at 16:13│Comments(5)宮城日記
この記事へのコメント
更新記事を見ると、胸がギュッとします。
ここ数日、食べ物を買う時に、『これは必要ですか?』と、自分に尋ねます。
節約して、何か物資を送ろうと思ってます。
みゆきさんの素早い行動に、頭が下がります。
お疲れさまです。
Posted by よぅ at 2011年05月08日 20:45
みゆきちゃん!

おつかれさまです!
「悪夢かとおもって手をつねった・・・」

信じられない現実が目の前にあって、

でも今があって、・・・

行く先も不明確なまま 出向いた勇気に

エールをおくります!

身体に気をつけてね!

また物資あつめるね!! 

p.s.わかめのおすそ分けいただきました!
ありがとう!!/もり
Posted by moritsukamoritsuka at 2011年05月09日 17:19
よぅさん。
コメントありがとうございます。

物資に関しまして、記事をアップしますので
お時間あります時にご覧ください。

いつもご協力ありがとうございます。
Posted by sansthasanstha at 2011年05月09日 21:58
もりさん。
コメントありがとうございます。

いつも勢いにまかせる“カミカゼアタック”で…
今日も知り合いの漁師さんに
迷子になって迎えに来てもらいました(笑)

わかめ、美味しいんですよ~!!

早く再開できるよう、応援したいです。

いつもご協力ありがとうございます。
Posted by sansthasanstha at 2011年05月09日 22:01
こんばんは 初めまして、「やすらぎ」で検索したら、出てきたので、ちょっとご連絡させて頂きました。当方、先月で2回訪れている「やすらぎ」ですが、今後も行かれるご予定は有りますか? 私は個人的に来週8日辺りに伺う予定でいます。近々行かれるのであれば、届ける物資について是非連携を取らせて頂けたらと思い、こうやって書き込みさせて頂きました。
Posted by 加藤彰 at 2011年06月05日 19:24
 
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