2011年04月25日

南三陸町 #2



昨日、南三陸町歌津地区韮の浜に2回目の訪問。


南三陸町 #2



上の写真は、韮の浜地区の津波被害に遭った部分。
ここは集落の地形が少し海に出っ張っている半楕円形。
湾になっている部分から津波が押し寄せてきたのでは、と推測されます。

船はひっくり返ったまま。
瓦礫の類は、水曜日に訪れたときよりもキレイになっていました。
道路もだいぶ見えてきているし。

写真だと、田んぼの上に船が浮いてる?? ように見えますが
ここは家が建っていた場所。

辛いのは、残ったおうちからこの景色がいつも見えている状態だということ。
朝にカーテンを開けて、外に出て。
毎日イヤでも目に飛び込んでくる現実。
変わり果てた港町の姿に想うことは何でしょうか・・・。









南三陸町 #2





南三陸町 #2






南三陸町 #2






南三陸町 #2





昨日は友達が運転してくれたので、
車を止めることなく写真を撮ることができました。

県外ナンバーの車が、止まってカメラや携帯で写真を撮り
クラクションの嵐になることも多々あります。

道路脇の白線ギリギリまで(たまにはみ出しながら)
瓦礫があるので、一台が止まると後続車が進めなくなります。

今回の写真撮影は、色々な状態・状況をかなり神経質に考慮しなければいけないので
いつもより撮影回数・枚数ともにかなり少量です。





昨日は友人に助けてもらいながら
区長さん宅をはじめ、19軒のお宅をヒアリング。

不自由が多い中、「食べるものが無くて餓死する」
という最悪の状況は脱出しています。

それでも、以前のような食生活とはだいぶかけ離れているのが現状。

なので、昨日の物資(お米&野菜)は大変喜ばれました。




色々な方のお話を聞いて思ったことは
これからの生活をどうしていくかが大事なのでは ということです。


『復興』という言葉の影に隠れているものはたくさんあると思います。
メディアだけでは、情報は少なすぎる。
ネットですらもリアルタイムでなければ状況報告の意味が無くなる場合があります。


現場の状況が毎日めまぐるしく変化していく中で
私たちSansthaの支援の形も変化していかなくてはいけません。



私自身の気持ちの整理をつけるのに、一日以上かかりました。
そして、まだまだまとまりません。

支援してくださる皆さんの意見も頂戴したいです。
よろしくお願いします。



MIYUKI











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Posted by sanstha at 22:24│Comments(2)宮城日記
この記事へのコメント
初めまして。微力ながらも協力していきたいと思ってます。昨日お米やスープ等10セット作り袋詰めしましたが、1人が10セット作るより、お米、缶詰、等々同じ物を小分けしてもらい窓口で米缶詰水…とか1つにし現地ですぐに手渡せるようにできたらいいななんて思ったりしてます。うまく説明出来ませんが、、。サンスタさんがあるから支援しやすいですありがとうございます。頑張ってください。
Posted by ふんわり at 2011年04月25日 22:54
ふんわりさん。
コメントありがとうございます。

仕分けについては、1種類ずつまとめていただくとありがたいです。
段ボールに入れていただくのであれば
中身が何なのか、お知らせください。

ご協力、ありがとうございます。
Posted by Sanstha at 2011年04月26日 10:14
 
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